第10話
***
石川梨華が粛清された。
その事実はまさに青天の霹靂として辻の耳に届いた。
『カントリー組』と内通し、『娘。組』の情報を売っていた。
あまつさえ、『カントリー組』もろともソロ派に寝返ろうとしていた。
粛清の理由は、そう説明された。
辻には、現実感の伴わない報告だった。
「死に際は、見事やったで」
直接粛清に向かった加護が石川の最期を語った。
「ウチが介錯するまでもあらへんかった。
自分から脇差を抜いて、腹を斬ったで。
切腹の作法をきっちり全部こなしてな」
武士の切腹とは、まず自分の腹を十字に切って臓物を引きずり出し、
しかる後に自ら自分の首をはねる、というものである。
無論こんなことをこなせる人物はそう多くはいない。
通常は腹を斬った時点で失神してしまう。
その後、介錯人が首をはねて苦痛を終わらしてやる。
「寒いヤツや思うとったけど、
最期は熱かったで」
それは褒め言葉になるのだろうかと、辻は思った。
「そや」
沈黙する辻の前で、加護が懐を探った。
「これ、梨華ちゃんから」
「ののに、れすか」
一枚の書状だった。
きっちりと折りたたまれた表面に「ののちゃんへ」と石川独特の丸文字で書かれている。
「悪いとは思うたけど、中は検閲させてもらった。
ま、遺言みたいなもんやったで」
***
石川の遺言を懐に入れ、辻は菊一文字を腰に差した。
すでに心中には怒りも悲しみもなかった。
自分が『娘。組』の1番隊隊長であるという自覚だけが頭を占めている。
胸に抱いた遺言状。それがずしりと重い。
加護の、言うとおりだった。
『モーニング娘。組』5番隊隊長、石川梨華。
最期は、熱く死んだ。
「のの」
門の横に、加護がいた。
全てを心得た顔をしている。
「行くんか」
「行く、のれす」
「そっか」
加護の眼が、ふと和らぐ。
まだ加護と辻が『娘。組』に入った当初、2人は毎日笑って楽しく過ごしていた。
その頃に、戻ったような顔をしていた。
「戻って、来るんやで?」
辻はそっと微笑んだ。
「もちろんれす」
すでに日は暮れ、辺りは薄闇に包まれ始めていた。
雲が出ていた。
雨が降りそうだと、辻は思った。
***
月が出ていない。
『娘。組』平隊士、紺野あさ美は空気の匂いを嗅いだ。
こんな夜は、どこか危険な風が吹くものだ。
南風。
琉球では死神を運ぶとされている風だ。
「紺野ちゃん?」
一緒に屯所内の見回りをしていた小川が怪訝そうに紺野の顔を覗き込んだ。
「どうしたの?」
「ん、なんでもないよ」
そのときだった。
突如異音が響き、紺野の目の前で小川の身が崩れた。
紺野はとっさに飛びのき、両の腕を差し上げた。
それから慌てて刀の柄に手を伸ばす。
「なんぜよ」
闇の向こうから、男の声。
『娘。組』屯所内は基本的に男子禁制だ。男はいない。
いるとすれば、侵入者に他ならない。
「頼りないヤツを見張りに立てちゅううな」
男は黒い着物を羽織っていた。
手には、大振りの刀。
できる。
紺野は直感した。
「寝ちょれ!」
男が横殴りに剣戟を繰り出す。
紺野は刀を抜いた。
剣戟を受け止める。
だがそれが精一杯だ。
男の剣先が小さく回転する。
それだけで紺野の刀は跳ね飛ばされ、遠い地面に突き刺さる。
「命までは奪わん。大人しく寝とうせ」
男が刀を振りかぶる。
紺野は息を呑んだ。
両の腕で頭上を護りつつ、男の懐に飛び込ぶ。
男にしてみれば、予想できない動きだったらしい。驚愕している気配がうかがえた。
とっさに出たのは、やはり慣れ親しんだ唐手の動きだった。
腰を落とし、脚を跳ね上げる。
金的を蹴り上げられ、男はあっけなく昏倒した。
紺野は荒い息をつきつつ、慎重に男に近づいた。
反応はない。完全に気絶しているようだった。
紺野は深く息を吐いた。
自分ひとりで侵入者を阻止した。
入隊以来始めての戦果に興奮を抑えることができなかった。
侵入者を捕らえようと腰から縄を抜いたときだった。
「おっと」
不意に、背後に立つものがあった。
「やってくれたね。
でも、あたしらもまだ捕まるわけにはいかないんだよ」
すでに迷いはなかった。
紺野は短く気合を吐き、背後の相手に後ろ蹴りを叩き込んだ。
***
ソン・ソニンは武道家などではない。
武術の類は任務を達成するために必要な、単なる技能に過ぎない。
そこに思想や喜びの入る隙はない。そう考えていた。
それが、いま背筋から這い上がる歓喜を味わっている。
久しぶりに強敵と出会えた喜びだとは、自分でも認めたくなかった。
先ほどから自分に打撃を叩き込んでくる相手。
確か名前は紺野あさ美。『娘。組』の平隊士だったはずだ。
特別剣の腕がたつという情報は聞いていない。
なるほど、本分は無手の武術だったということか。
両の脚で地面を踏みしめ、天地の理論に即した的確で直線的な打撃。
琉球に伝わる、唐手か。
ソニンの祖国で広く使われるテッキョンの源流ともいわれている武術だった。
紺野の拳打がソニンの肩口を撃った。
続いて腹、顔面、側頭部、ヒザ。
小刻みに小気味よいほどの攻撃が向かってくる。
我知らず、ソニンは微笑んでいる自分を発見していた。
この紺野という少女。
年齢は15、6。あるいはもっと若いかもしれない。
愚直なまでにまっすぐな瞳をしていた。
繰り出す攻撃も同様、直線的で迷いがない。
「面白いねえ」
ソニンの中に郷愁ともいえる感情が沸き起こる。
「かかっておいでお嬢ちゃん。
ソニンさんが存分にお相手してやるよ!」
紺野の蹴りに自らの蹴りを合わせながら、高らかに笑う。
紺野の蹴りがソニンの側頭部を襲う。
腕一本で蹴りを受け止め、応酬の足刀を見舞おうとする。
空振り。すでに紺野はソニンの間合いの外に遠のいている。
気を吐く声。
紺野の身体が空中を舞う。
華麗な身のこなしからの、飛び蹴り。
ソニンは笑った。
打算もなにもない、直線的な攻撃。
先読みするのはたやすい。
紺野の蹴りを前に、ソニンは両の腕を大きく広げた。
ソニンは紺野の身体を受け止めていた。
まるで恋人にするかのように、細身の身体を抱きしめる。
紺野の眼を見た。
一点の曇りもない美しい瞳。
組織の中にあり、組織のために働くことに誇りを抱いている眼だ。
自分にも、そんな時代があった。
ソニンは何年も前の己を思い出していた。
だが、所詮は遠すぎる過去のことだ。
いい子だね、あんたは。
紺野の背に回した手を、そっと首筋に移動させる。
手首に仕込んでいた金製の針を手の中に移動させる。
点穴針という暗器である。
でもね、
躊躇もなく、点穴針を紺野の首筋に突き立てる。
若すぎたよ。
先端には猛獣でも丸一日眠らせる麻酔薬が塗られていた。
紺野の身体が一瞬痙攣し、そしてすぐに力を失う。
崩れ落ちる紺野を受け止め、ソニンはそっとその身体を地面に横たえた。
手首には、点穴針がもう一本。
こちらには致死性の猛毒が仕込まれている。
ソニンは一瞬だけ思案した。
「もう少し歳取って、
もう少しずるくなったら、
またおいで」
ソニンは紺野の頬を撫でた。
その声は、興奮に濡れていた。
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