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第13話
***
月は出ていない。
にもかかわらず、高橋の黒髪は見事な光沢を放っていた。
闇よりもなお深い闇の星。
辻にはそう見えた。
「なにをしに、いらしたんです?」
「高橋さんこそ、どこに行く気れすか」
「私? 私は逃げるんですよ。
もう『娘。組』での用は済みましたから」
いって高橋はひどく優しげな顔で微笑んだ。
すでに『娘。組』の隊服を脱ぎ、旅装に身を包んでいる。
高橋が立っていたのは街道の入り口から近い丘の上だった。
「後藤さんは、もう立たれましたか」
辻は頷いた。
「そうですか」
高橋はまた微笑む。
「今頃は地上最強のアイドル連合軍が組織されているでしょう。
そうなればもう誰にも止められません。
多くのアイドルが淘汰されるでしょう。
わたしはそうなる前に、逃げます」
アイドルとしてあるまじきことを、高橋はさらりという。
「どうでしょう辻さん。
私と一緒に、行きませんか?」
辻は答えない。
ただ、さらりと腰の菊一文字を抜く。
闇の中、白刃が薄く煌いた。
「そうですか」
高橋がかぶりを振る。
「残念です」
高橋の剣は早く、そしてしなやかだった。
まるで柳で身体を撫でられているようだ。辻はそう思った。
「いけませんよ、辻さん」
暗闇に高橋の声が溶ける。
辻はすでに、着物のあちこちに切り傷を作っていた。
こんなことは初めてだった。
『モーニング娘。組』一番隊隊長辻希が、圧倒されている。
「これがあなたの正体なのれすか、高橋さん」
高橋の笑う声。
「あなたが『娘。組』に入る少し前れす。
『カントリー組』でりんねさんという方が行方不明になりました。
行方は誰も知らないのれす。
れも、その前に1人の下目付が『カントリー組』の下で働いていたという話がありました。
高橋さん。あなたなのれす」
強烈な圧力が辻の菊一文字に与えられた。
二本の刀がたがいにぎりぎりと押し合い、せめぎ合う。
辻の目の前に、高橋の顔がある。
奇妙に輝く2つの瞳が辻の顔を覗き込んでいた。
「『カントリー組』だけじゃないのれす。
あなたは、他にもたくさんの組織に入り込んで、その組織をめちゃくちゃにしました。
それがあなたの仕事なのれすね」
「石川さんですか、調べたのは」
「梨華ちゃんは、そのせいで死にました」
「私のせいだと?」
「違うのれすか!」
辻は菊一文字を切り払った。
高橋は刀を引き、飛び跳ねるようにして後ろに下がる。
「違いますよ辻さん。
石川さんが死んだのは、迂闊だからです。
私の正体を調べるより先にしなければならないことがあったと、
気付かなかったからです」
辻は身体の中心から熱い怒りが湧き上がるのを感じた。
「責任逃れをするつもりれすか」
高橋の一撃が菊一文字を打つ。
相変わらず得体の知れない剣筋だ。
辻を斬ろうとしているのか否かすらもつかみきれない。
「生き残ろうとしなかったこと。
それが石川さんの死因ですよ。
馬鹿な人です」
「あなたに…!」
お前に石川を笑う資格があるのか。
辻は菊一文字を振り上げた。
その喉元に、高橋の剣の切っ先が突きつけられる。
「いいえ、馬鹿ですよ。
私はね、辻さん、不毛の村に生まれたんです。
ただ生きることすら命がけにならなければならない場所でした。
生きるために、奪いも殺しもしました。
友達も、親もです。
石川さんには、そうして生きる覚悟がなかったんです」
「そうして、あなたは間者になったのれすか」
「ええ。私はいつでも、生き延びられる確率の高いほうにつきますよ」
「『娘。組』では、そういうのを『アイドル道不覚悟』というのれす!」
辻は菊一文字を振り払った。
火花が散り、高橋の刀が宙を跳ねた。
「かたくなですね、辻さん。
いけませんよ。それも死に急ぐようなものです」
高橋の斬撃が飛ぶ。
辻はそのことごとくを打ち止めた。
「考えても見て御覧なさい。
今後、時代は大きく変わりますよ。
もう剣と舞いだけでは生きていけません。
ずる賢さが必要になるんです。
辻さん。
あなたはそんな時代では生きていけません」
辻は聞く耳を持たなかった。
迫りくる切っ先のことごとくを打ち払い、
刃の膜を打ち破り、菊一文字を突き込んだ。
金属音。
火花。
鮮血。
無数のきらめきが空中を乱舞する。
「生き延びたければ辻さん、私といらっしゃい」
辻は叫んだ。
菊一文字を腰だめにして、突き込む。
高橋がそれに応える。
2つの彗星がぶつかる。
2つの金属がきしむ。
「辻さん、あなたは策略の中ではとても生きていけません。
私と一緒に来なければ…」
「高橋さん」
辻は菊一文字を高橋の刃の上に滑らせた。
「ののは、『娘。組』が大好きれす。
あなたは、それを壊したのれす」
「なにを今更」
辻は歯を食いしばった。
甲高い音がした。
高橋が呆然とした顔で宙を見やっている。
視線の先では、粉々に砕けた剣が泳いでいる。
刀を砕いた動作から、辻は菊一文字を走らせた。
高橋の身体に、逆袈裟の形に血の線が生まれた。
辻は血のりの付いた菊一文字を宙に振った。
べしゃり、と地面に粘度の高い液体が散った。
「辻、さん」
高橋は刀を取り落とした。
震える指先を、辻に向けている。
「やっぱり、そうなんですね。
初めてあったときから、あなたは仲間のことばかり見ていましたね。
自分の命のことなど、考えたこともないような顔をしていましたね。
辻さん。
わたしは、あなたが妬ましかった。
辻さん。
わたしは、あなたが…」
おぼつかない足取りで、高橋は辻に歩み寄る。
が、歩を進めることは出来ない。
肩もヒザも、おこりにかかったように震えている。
「辻さん」
高橋の身体が傾いた。
その瞬間、辻は熱いものを感じた。
それは倒れ様かするように触れた高橋の唇だったのか。
それとも知らないうちに頬に流れる涙だったのか。
雨が降り始めたのはそれからほどなくしてからだった。
冷たい雨だった。
雪に変に変わるのは時間の問題だろうと、辻は思った
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