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第8話
***
それは、『モーニング娘。組』が扱った中でも最大の捕り物だった。
京内の料亭『池田屋』
そこで、ソロの主だった者たちが集まり、一斉蜂起の計画を練っているという。
市中に火を放ち、その混乱に乗じて投獄されている要人たちを奪還する。
それが計画の内容だった。
『モーニング娘。組』としては、もちろん見逃してはおけない。
「御用改めだよ」
飯田圭織の言葉に、ハゲ面の亭主はあっと声を漏らした。
「皆様!」
振り返り、叫んだ亭主の背に、刃が走った。
虎徹を抜いた飯田が袈裟懸けに切り払ったのだ。
「ディア!」
号令一下、隊士たちが『池田屋』の2階に殺到する。
その中に、辻もいた。
数が、多い。
加えて屋内だ。狭い。
(面倒れすね)
辻は苛立ちつつ菊一文字を振るっていた。
一振りするたびに、刃先が人や柱にぶつかる。
取り回ししづらいことこの上ない。
と、辻の背にのしかかる者があった。
死体か。とっさに振り払おうとした。
が、寸前で思いとどまる。
「安倍さん!」
6番隊隊長、安倍なつみ。
手傷を負っていた。
肩口を切り裂かれ、夜目にも明らかなほど出血していた。
「あは…、
なっち、ドジっちゃったみたい…べさ」
「喋んないでくらさい!」
叱りつけ、安倍の身体を背負おうとする。
重い。
動きの鈍ったところに、敵が一斉に襲い掛かる。
(ええい!)
辻は鮮やかな突きを繰り出し、3人を一度に葬り去った。
焼け石に水だ。
敵の数はまるで無尽蔵だった。
身動きの取れない辻に、無数の刃が向けられる。
(誰か…)
辻は目を凝らし、仲間を探した。
奮戦している者が1人、目に付いた。
10番隊隊長、吉澤ひとみだ。
無数の浪士に囲まれながら、長大な槍を振るっている。
豪胆な性格そのままの戦いぶりだ。
槍が、一度に何人もの浪士を串刺しにしていく。
(でも、槍じゃ…)
さしもの吉澤も、屋内の狭さに手を焼いているようだった。
白い顔に疲労が浮いている。
「よっすい、脇差を…!」
辻の声は、届いたらしい。
吉澤は一瞬だけ辻を見て頷くと、やおらに槍を手放した。
腰の脇差を抜こうとする。
そこで、吉澤の動きは止まった。
生白い顔が、闇の中で見る見るうちに色を失っていく。
がくりとヒザを突き、倒れる。
菊一文字を握り締め、辻は震えた。
吉澤の長身が崩れた後に、山模様の麻羽織が見えていた。
(高橋、愛)
その手に握った刀は、血に濡れている。
足元には、力を失った吉澤の姿。
(高橋、愛)
辻は、呆然とした。
一瞬空となった身体に、激情が押し寄せる。
叫んだ。
(高橋愛!)
背負っていた安倍を放り出し、菊一文字を振り上げた。
無数の突きを繰り出し、群がる浪士たちを葬り去る。
が、辻と高橋の間にいる浪士の数はあまりに多すぎた。
すぐに高橋の姿は見えなくなってしまう。
血を吐かんばかりに咆哮し、辻は菊一文字を振るい続けた。
***
『モーニング娘。組』観察方、新垣理沙は本隊が踏み込む前から『池田屋』に潜んでいた。
戦闘が始まった後は、裏口を張った。
表口では副長の保田が張っている。
逃げ出した浪士たちを捕らえるための策だった。
そこに、1つの影が飛び出して来るのが見えた。
浪士かと思い、とっさに飛び出そうとした。
だが、すぐにその人影が『娘。組』の隊服を着ていることに気づいた。
(高橋?)
先日入隊したばかりの平隊士だ。
(なんで、戦線離脱してるの?)
そんな策があるなどとは、聞いていない。
釈然としないまま、新垣は高橋の後を追った。
新垣は、相模に生まれた。
父は藩の重臣。なに不自由ない生活をしていた。
そんなある日、『モーニング娘。組』の噂を聞いた。
憧れた。
『娘。組』の勇名は、刺激の少ない日々を送っていた新垣には鮮烈なものだった。
一員になりたいと、願った。
たとえ父の権力を行使してでも、あの華やかな集団の中にありたいと願った。
そして、入隊した。
コネ垣
入隊してまもなく、そんな陰口を叩かれた。
隊士の選抜を任されている保田は、無名流派からの加入を好む。
大流派出身の者はすでに思想が固まっており、『娘。組』独特の規律になじめない場合があるからだ。
勢い、隊士の中には筋目のよい者をねたむ気持ちがあった。
新垣はそれこそ蛇蝎のごとく嫌われた。
コネで入ったのは事実でしょ。
そういったのは、保田だ。
陰口を叩かれ、悩みを打ち明けた新垣に対して保田はこともなげにいい放った。
『コネ垣』なんて、呼びたいやつには呼ばせておけばいいんだよ。
でもね、
あんたはもう『娘。組』の一員なんだ。
剣の腕がすべてのものをいう集団だよ。
誰も甘えは許しちゃくれない。
実力のあるやつが、偉いんだよ。
新垣。
認められたいなら、実力を示すんだね。
保田の言葉を、新垣は最もだと思った。
その言葉どおり、実力を示そうとした。
『娘。組』監察方、新垣里沙。
いまは、そう呼ばれている。
高橋を追い、新垣は市中をひた走った。
次第に、人通りの寂しい区域に入っていく。
と、高橋が路地を曲がった。
距離を置き、新垣は民家の塀に背をつけた。
そっと顔を出し、待ち伏せを警戒する。
(!!)
背後から口を押さえられた。
身動きがとれない。
(バカな)
新垣は、信じられない。
監察方として、密偵としての腕は鍛えたつもりだった。
事実、成果も挙げてきた。
それが、なんの気配も察知できなかった。
「こんなんが、監察方か」
聞き覚えのない声。
(高橋じゃ、ない?)
視線を巡らせるが、高橋の姿はどこにもない。
すでにまかれた後か。
「あんたに恨みはあらへん。でもま、しゃあない。
これも時勢なんや。
恨むんなら、『娘。組』に身を置いた自分の浅はかさを恨むんやな」
一瞬なにが起こったのかわからなかった。
鈍い衝撃が身体を貫く。感じたのはそれだけだった。
(熱い…)
腹から、刃が生えていた。
新垣は自分の血の温度を知った。
中澤裕子は、少し距離を置いて『池田屋』を張っていた。
そこに、いずこへかと駆けていく高橋を目にした。
(あの娘か)
内通者の疑いがある、と保田から聞いていた娘だ。
後を追おうとしたが、すぐにもうひとつの人影に気づいた。
(新垣か)
中澤が『娘。組』を脱した後に加入してきた隊士だ。
任務は、監察方。
中澤は尾行の足を緩めた。
(ウチがあんまりでしゃばるのも、筋がちゃうやろ)
なにしろ、書類上の中澤裕子はすでに死人なのだ。
死者が生者の仕事を奪うわけにもいかない。
新垣と余り近づき過ぎないように注意を払った。
自身の判断を呪うのに、中澤は長い時間は必要としなかった。
懐の鉄扇に手を伸ばしたままの格好で、中澤裕子は硬直した。
新垣の身体が、ずるりと崩れた。
絶命している。
血刀を手に、佇んでいる女が1人。
「みっちゃん…」
人斬り、平家みちよ。
「裕ちゃん?」
驚いているのは、平家も同じようだった。
「飯田に粛清されたって、聞いてたで」
「そっちこそ、処刑されたはずや」
どちらともなく、微笑む。
「お互い、死人っちゅうことか」
中澤と平家は面識があった。
まだ『モーニング娘。組』が結成される以前のことだ。
当時、中澤は幕臣の護衛にあたっていた。
その日の護衛対象は、軍艦奉行並はたけ。
忙しい男で、年じゅう市中を走り回っていた。
そこを、刺客に襲われた。
多勢、しかも手練ぞろいだった。
共に護衛にあたっていた者たちはことごとく斬られ、中澤も追い詰められた。
死を覚悟した。
そこに、乱入した者があった。
凄まじい腕だった。
あっという間に刺客全員を切り伏せてしまった。
あんた。
言葉もなく去ろうとした女に対して、中澤は声をかけた。
名前は?
名前?
せや。礼くらいいわせてえな。
少し沈黙して、女は口を開いた。
平家、みちよ。
あっ、と思った。
すでにその頃、『人斬りみちよ』の雷鳴はユニット陣営全体を震え上がらせていた。
同時に、おかしいとも思った。
当時平家はソロの大一翼であった。それが、幕臣であるはたけを護る筋合いなどない。
(油断させる気か)
そう思い、刀を構えた。
そんな中澤を見て、平家はそっと微笑んだ。
面白い女やな、あんた。
いつか、斬り合う機会があるかもしれん。
なぜか嬉しそうにいい残し、平家はその場から去っていった。
その場は、それで終わった。
「あんときいったとおりになったな」
平家が刀に付いた血脂を袖で拭う。
「あんときなんではたけさんを護ったか、まだ聞いてへんかったな」
中澤は鉄扇を抜いた。
「まあ、聞いても無駄か」
「別に無駄やないで。
ちょっと知り合いがおってな、そのツテで頼まれただけや。
なに、金で頼まれた仕事や。大した意味はあらへん」
「そうか」
2人の間で張り詰めていた微妙な均衡が、破れた。
血刀が唸る。
鉄扇が舞う。
2つの金属がぶつかり合う。
火花が散った。
(強い)
生まれて初めてかもしれない。
中澤は戦慄していた。
刀を受けた腕が、びりびりとしびれている。
隙が生まれた。
「その程度か、裕ちゃん」
平家が刀を振りかぶる。
(やられる)
異音が響いた。
剣先が、宙を舞っている。
見ると、平家の刀は中途から折れ飛んでいた。
(なんや)
思う暇もない。
一陣の風が吹いた。
なにが起こったのかわからなかった。
平家が地面に倒れている。
その背に足を乗せ、佇んでいる女が1人。
「人斬り風情が、勝手に動くんじゃないよ」
平家がくぐもった声を出した。気絶しているようだ。
「あんた、済まなかったね。
別にあんたんとこの隊士を殺るつもりはなかったんだ。
この人斬りが先走っただけさ」
女はこともなげにいい放つ。
(なんや、この女)
異様な装束に身を包んでいる。
絹織の着物の胸元を大きくはだけ、着流している。
下帯付けていないようで、浅く日焼けした肌をそのままさらしている。
首や手首には無数の装飾。手には三味線を持っている。
(遊女か?)
一瞬、そう思った。
(違う)
歌舞いた服装でごまかしているが、その下に奇妙な違和感がある。
さほど痩せているわけでもないというのに、頬を描く線が不思議と鋭い。
「大陸、いや半島のもんか」
女の顔色が、変わった。
「そういや、
近頃半島から工作員が潜り込んでるっちゅう話があったな。
確か暗号名はカレーライス…」
「黙んな」
女の声には剣呑なものがあった。
「別に本名なんて隠してないさ。
ソニン。
呼びたきゃそう呼ぶんだね」
中澤は奇妙な緊張感を感じていた。
(何者や、この女)
ソニンと名乗った女の正体が、つかめない。
先ほど刃を交えた平家には、わかりやすい強さがあった。
ソニンのそれは、捉えどころがない。
一瞬で平家を昏倒させた手段すら、わからない。
「どうするんだい?」
あざ笑うように、ソニンは唇を舐めていた。
「平家を斬って仲間の仇を討つかい?
べつにあたしは止めないよ」
??自分とやりあう気があるのか。
その眼が暗にそう語っている。
(どうする?)
中澤の背に冷や汗が浮く。
相手の得物すらわからない以上、深入りするのは得策ではない。
中澤は鉄扇を突き出した。
左手である。探りを入れるつもりだった。
瞬間、ソニンが腰を振った。
中澤の鼻先を疾風がかすめる。
鉄扇が宙を舞った。
(蹴りか!)
手首にほとんど感覚がない。
着流した着物からむき出した脚。それがソニンの凶器だった。
先ほど平家の刀を折ったのも、この蹴りか。
(なんちゅう脚しとんねん)
ソニンの脚はももの付け根まで露出されている。
赤銅色に日焼けした皮膚が、筋肉に押されてあざやかなうねりを描いている。
馬の脚に似ている、と思った。一日に143里(約570km)を走る駿馬。
蹴上げられた鉄扇が、地面に落ちた。
いつの間にかソニンの姿が消えている。
見ると、気絶していた平家もいない。
「悪いね」
闇の中から、ソニンの声が響いた。
「このソニンさんはまだ死ぬわけには行かないんだよ。
この人斬りにもまだ使い道があるんでね。
斬りたかったら、そっちで勝手に追いかけな」
ソニンの言葉を聴きながら、中澤は闇の中に立ち尽くしていた。
新垣の死体を片付けてやらなくては。
ぼんやりと、そう思った。
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